2016/12/22

オワコン原宿? お洒落な人は脱原(ダツハラ)してます




どうも、アートリサーチャーさくらこです。
お洒落酔い
 【意味】あからさまなトレンドに身を包んだ没個性の人が数多く存在している空間において、違和感や息苦しさを感じ、気持ちが悪くなること。 byアートリサーチャーさくらこ


 原宿にいる4つのファッション種族 


明治神宮駅からH&Mにスタイリング用の衣装を買いに行き、閉店間際のアメアパに行くためキャットストリートを歩きました。
私自身が原宿の街に慣れ、ファッションに対して原宿という街に対して夢見るファンではなく、内側的視点を持つようになったからでしょうか…
原宿を歩いていて、初めて「(なにこれ、みんな同じ格好してるじゃん。個性があるお洒落な人、どこ?え?原宿どうした)やばっ」て呟きました。

例えば、クールに決めたGINZA系お姉さん。モンスターばりのファーコートにゆったりしたデニムから覗くコンバースのハイカット。もしくは素足にレースアップシューズ。サングラスに、小さめクラッチ。本人たちはめっちゃ澄ましているんですけど、こういうお姉さんが3人並んでいるのを見て、辛くなりました。

例えば、某三代目風、某Gドラゴン風男子。くたくたの頼りないつば広ハットに、ライダースかビッグシルエットのトップス。そしてエディ・スリマンのそれとは違うスキニ―パンツ。これにドクターマーチンか、ハイテクスニーカー。キャットストリートには、もはやピクミンレベルの人口数に震えます。

例えば、ハイブランド風韓国系男子(大抵2人組)。あれ?ここ韓国かな?って思うKFWのストリートスナップみたいなガチガチのハイブランド着てますオーラ全開。あれZARAかな?とか思って観察して、その後OC入ってメンズフロア見てたら実はガチKENZOでした。みたいなハイブランドを偽物に魅せるという技を持っている。

例えば、トルソーコーディネートばりのお洒落な組み合わせなんだけど、人(オーラ?雰囲気?)がお洒落じゃない系女子。これが一番厄介。本当、スタイリングとか着ている服は可愛いんだけど、体型や雰囲気に合ってなくて服が浮いてる。なんだったら、コクーンぽい(笑)コートなのに肩のラインが見える。なんだったら、オリーブ系シティーガールなのかただスポーティーなのか分らないスニーカーの合わせ方。

これが、現状「原宿」というピンタレストの7割を占めているファッション種族じゃないですかね。


「原宿」を去るハイレベルショップ、「原宿」に拘り過ぎる店が敷居を低くしている説 


人だけじゃ無くて、各ブランドのお店から、(え?!なんでこんな格好の人が出て来るの?!)と驚くことありませんか。

お店の敷居が良くも悪くも低くなり、そのブランドの系統の人じゃなくても、入れてしまう雰囲気。

私が初めて原宿を訪れたのは、中学3年生。あの頃は古着にハマっていて、全身ハンジローで固めていました。
だけど、下妻物語のファンだったので、BABY,THE STARS SHINE BRIGHTやmilkに観光として行ってみたいと思い、お店の前に行きましたが、すんごく敷居が高くて(自分の服装じゃ入れないな)っと遠目から眺めた思い出があります。

それが、今ではロリータじゃなくても誰でも入ることが出来て、なんだかベイビーやmilkへの憧れや夢が薄らいでいます。

そのお店に入ったことで、顧客のファッション偏差値が上がり、お洒落に目覚めてお洒落を楽しむという感じだったらいいんですけど、なんだかそうじゃない人も受け入れる店が多くなったように感じます。

時代の流れでそうせざるを得ないのかもしれませんが、敷居を高く持ち続けることで顧客のファッション偏差値が上がるっていうのが、あくまで理想かな。(青山側みたいな)


そんなトップダウン原宿に嫌気がさした個人展開しているハイレベルなお店は、どんどん原宿から退いています。

意志を持って退いてる店、人というのは、流行を作っていた人であり発信していた人でありスポットでした。
それが散り散りになっちゃって、お洒落な人が集まるスポットが分散化している。
これが今のストリート(ハイレベル)の現状だと感じます。
「原宿」が日本のトレンド発信地だとすると、トーキョーのはずなのに、ストリートなはずなのに、実は終わってませんか。

全盛期(90年代)と比べる気はないけど、社会のトレンドに反発して新しいファッションスタイルを生み出そうとしている人の人数よりも、トレンドの発信を受けてその中でファッションを楽しむ人の人数が上回っている。そう見えました、未熟な私でも(笑)


人工知能参入でも生き残れるか、アパレル業界人 


今後の時代を考えてみると、断言できるのが人工知能によるファッション業界参入ですね。

スタイリングを組んだ洋服を発送するサービスが話題となりましたが、このスタイリングを組む段階で、販売員やスタイリストではなく人工知能によってシステム化される時代が来ると思います。
というか、すでにそうなっているのかな?

自分の体形や好み、世界のトレンド、自分のクローゼットの中を熟知した人工知能がスタイリングを組み、予算を設定すれば新しい商品を探してネットで買い物できる。
こういう新しいシステムは可能性もあるけど、制約としては雇用人口が著しく少なくなりますよね。

これからアパレル業界で働きたいと思っている学生さんは、もう一度10年後の社会を想像して、考え直した方がいいと思う。

現状、業界の中で働いていらっしゃる方も、もう職場に依存したり良い顧客に甘えて手遅れにならない様に、自立した業界人としてのネクストステージを考えた方がいいと思います。

今20代であるなら、私たちが見ている40代、50代の上司の働き方(職場環境)と20年後、30年後は絶対に違うから、上司を見て安心しないで生のストリート(世界の動き)を見つめようじゃないですか。


お洒落を楽しむコツは、トレンドを知るよりも自分を知ることから始めよう 


私がお洒落って楽しい!と感じるのは、スタイリングを考えているときなんです。
こんな組み合わせしたいな、このハイブランドのショールックを私の服で再現できないかな?とか。

反トレンドというわけではなく、自分の体形や個性を活かしたスタイリングで、みんながお洒落を楽しめたら素晴らしいのに、と思います。

お洒落か、ダサいかの線引きは人によって違いますが、「似合っているか」「似合っていないか」は、ある程度の美的感覚を持ち合わせていれば分ります、たぶん(笑)


私には、お洒落したい予備軍の19歳の弟がいます。

中学~高校時代、弟はお洒落よりも美容に興味があり、服より美容品を買っていました。
買い物に誘っても、「任せる、似合うやつにして」と言われる始末。服に興味ないの?って聞くと「だって俺、制服が似合うやん。」と言い切りました。

たしかに、弟の身長、体形に合わせて作った制服はオートクチュールですから、サイズ感ぴったりです。

それに加えて、たまたま弟の肌の色に合っていたダスティーブルー、なぜか首の長さが引き立つスタンドカラー、なぜか足が長く見える細めのスラックス。

すみません、ブラコンで(笑)

でも、弟が自分の良いところを知っていて、その良さを引き立たせてくれる服装を感覚的に掴んでいることに驚きました。
だてに美容オタクで外観じゃないな、と(笑)

トレンドがどんなものか知ることも大切ですけど、まずは自分自身を知ることから始めると良いんではないでしょうか。

制服がなくなり、最初はGUでとりあえず洋服の枚数を増やしていた弟。
しかし父のお下がりのY’S for Menの革靴、ギャルソンのコート(めっちゃ似合う)がなぜ長持ちしているのか説明すると、弟は私の意志を引き継いで、「身の丈に合った値段で身の丈以上の品を手にする」方向性にシフトチェンジし始めました。(川越のブランド古着屋 viabridge

そして、初めて弟と洋服を買いに行き(長年の夢だった)、弟が選んだのは、制服の色に似ていたブルーのコムデギャルソンシャツ(古着)です。

スタイルもよく見えるし、自分の身体のラインをより美しく魅せる服のデザインを少しずつ発見しているようです。

お洒落を楽しむコツは、トレンドを知るよりも自分を知ることから始めてみよう。


さいごに 


前回の記事で、「私はタートルセーターは消耗品なのでユニクロで買ってます。まだ消耗品に高めいお金は投資できる身の丈ではありません。」と書きました。


で、先日2016年買い収めに川越のブランド古着屋viabridgeに行き、3点ほど買ったうちの2点がタートルセーターでした(笑)

やはり、良いセーターに腕を通してしまうと、脱げません。

野口さんに、セーターの良さを教えて頂き、お値段以上の付加価値を感じました。

そもそも、こちらのお店は値段設定が低いので、もはやそれが付加価値だったりします。

本来なら、身の丈以上の品なのでお値段も張りますが、手に届く範囲(身の丈にあった値段)で、身の丈以上の品が手に入るという付加価値。

ほんと、良い買い物しました!


ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
このブログは、あなたの明日が今日よりも少し幸せになって頂くために書き続けます。

 peace
by アートリサーチャー


2016/12/07

身の丈に合う品を選ぶのではなく、身の丈に合う買い方で身の丈以上の品を持 と う




どうも、アートリサーチャーさくらこです。


実は先月からデスマンス(金欠でやばい月)なんです。
10月に入院した&1月に引っ越し予定ということでしばらく節約生活が続き、もはやマンスではなく「デスシーズン」

「現金が無いのでクレジットで支払う→翌月も支払で現金がなくなる」という魔のサイクルに身を投じている社会人2年目(笑えない)

そんな生活の中で、ふと壁にかかっている初めてのボーナスで購入した約8万円のノワール ケイニノミヤのアウターが目に入りました。
これを売りに出すべきか否か…

今日は、単なるお買いもの中毒の話ではなく、洋服が好きだからこその苦悩を綴ります。


お洋服が好きな人の中でも、捨てられる人・捨てられない人・売れる人・売れない人がいます。私は、捨てられないし売れない人です。


1人暮らしを機に服の量を4分の1にしたはずなのに(残りはただ実家に置いているだけ)、2年も経てばハンガーラックが折れそうw

衣替えの時期に、昨年一度も着ることが無かった服を思い切って捨てようとしたけど、そのうちの半分以下しか処分できませんでした。

ファッション業界で働いていた母は「どんなに素敵なお洋服でも、糸偏物は消耗品なのよ。」と言う割に、30年前のお洋服を大切にとっていて今でも現役で着ています。
そのほとんどは「縫製がいいお洋服」で、具体的に言えばギャルソン、ヨウジ辺りはもちろん、ニコル、ビギ、ケンゾーですかね。

20代の時に買った洋服を今も着こなしている母はすごいと思っていたのですが、、、20代のころに50代になっても着ることのできるお洋服を買っていた母がすごいと思いませんか。

大学生のころはお金が無いけど服が欲しくて、安い服をたくさん買っていました。
なので、同じ20代で母は高い値段の洋服を買っていたという事実に、嫉妬したことがあります。
それは、自分の買っている服は母の言うとおり消耗品で、何十年も着ることが出来る代物ではないと分っていたからです。
でも本当は、母のように何十年も大切に一着を愛するようなおしゃれがしたい、と思っていました。

ある日、スピンズで買ったバッドマンみたいなパーカーを着ていたら
「え?さくらこでもスピンズとか着るんだ(笑)」とオゾック系ギャルの親友に言われて、身の丈に合う値段から品を選ぶと、私がその品(スピンズ・39マート)と同じような低価格な女(笑)に見られているんだなと感じたのを今でも覚えています。


その話を母にはすると、「値段で選ぶんじゃなくて、上手な買い物をしなさい。」と言われ、古着屋さんに通うようになりました。
掘り出し物のブランド古着や、ノーブランドだけどデザインも最高にかわいいものを発見するセンサーが育って、「長持ちするもの」と「消耗品としての服」の差を学んでいきました。


消耗品としての服

捨てられない私ですが、唯一未練なく捨てられる洋服があります。
それは、我が故郷が生んだ世界のユニクロのタートルセーターです。
冬になると5日間はユニクロのセーターを着ているので、傷むのも早く2年着たら捨てるようにしています。ユニクロのセーターは無くてはならないセーター。
ありがとうという気持ちを込めて、ユニクロのリユースボックスに入れています。


いつかはマルジェラのセーターを普段着でバンバン着てみたいです。
でも今の私は「消耗品になりうる普段着」に、お金を投資する余裕はありません。
今の私が楽しいと感じるのは、時々しか履かないマルジェラのブーツをちょっぴり贅沢して買うことです。

実用性があるものに資金を投じる人もいますが、わたしは消耗品における部分で「身の丈に合う品を選ぶのではなく、身の丈に合う買い方で身の丈以上の品を持とう」という精神を貫きたいと思っています。

ノワール ケイニノミヤ 特別な一着を売り出すのか悩んだ事件


話しがそれました。

今回の金欠デスマンスの影響で大切なお洋服を手放すかどうか悩んだとき、私はある人に相談しようとしていました。
ファッション批評家の平川武治さんです。
そんなこと自体、恐れ多いのですが「相談するぞ!」と意を決して、失礼が無いように何度も文章を書きなおしていたら…書き直しているうちに、自己解決しちゃったんです。


以下、平川武治さんのブログに書き込む予定だったコメント(相談)


平川さん、はじめまして。



私も二宮さんのお洋服が好きだったので、平川さんが「僕が好きで、気にかけている二宮君」とご紹介されているのを読んで何だか嬉しくなりました。

今悩んでいることがあり、コメントさせていただきます。

自分が初めてギャルソンでプロパー買いしたノワールケイニノミヤのお洋服を売るか悩んでいます。
現在生活に支障が出るほどの金欠で、やりくりするのが大変になってきました。
もともと社会人1年目の初めてのボーナスで買い、身の丈に合ったお買いものではなかったかもしれませんが、本当に好きで買ったものです。
しかし、買っても3.4回しか着ておらず、お洋服にとってももっと回数着てくれる人の方が嬉しいんじゃないかと悲しく思っています。

私は両親の影響でコム・デ・ギャルソンが好きになったのですが、私が好きになったギャルソンは既に完成されたもの。
ブランドの成長とともに青年時代を過ごしてきた両親を羨ましく思っていました。

そんな田舎の私も就職とともに上京することが決まった年に、「ノワールケイニノミヤ」がスタート。出来上がったギャルソンしか知らない世代だったと思っていたら、新しいラインの立ち上がりを経験できたことがまず嬉しかったですし、コレクションもとっても好きなものでした。


すでにここまで書いて、私は泣きそうでした。(本気)

コレクションを見て感動し、ルックブックを見ながら店員さんと盛り上がり、待ちに待って初めて手に取ったあの日。
服は軽いのに、その時の袋を持つ気持ちは重く、だけど軽やかな足取りになる。

コムデギャルソンの新たなブランドストーリーに、自分も参加できていることがとっても嬉しかったんです。

そんなこんなで、ここまで好きなら今は売るべきではない。と確信が持て、頑張ってやりくりしています。


さいごに

「理想は高く持ちなさい。そして、その理想に似合うように自分を磨きない。」

この言葉は、ダンディな祖父が若かりし母に言った言葉です。

若いころから本物を手にすることはとっても良いことだと思います。
ただ表面ばかりを着飾るのではなく、その美しさを引き出しあえるよう、内面も磨きたいものです。

経済的に余裕がないと、ちょっと荒くなってしまう私なので、来年はもっとお金と体調管理をがんばります。



ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
このブログは、あなたの明日が今日よりも少し幸せになって頂くために書き続けます。

 peace
by アートリサーチャー