どうも、アートリサーチャーさくらこです。
2017年2月24日、中国人フォトグラファーとして私たちに衝撃を与えたレンハンが亡くなりました。
まちがいなく、世界に認められた中国人で、一時の人気で終わることのない、真の写真家だったと思います。
中国人として中国と闘いながら、彼はドイツで人生を終えてしまいました。
本当に私の想像を超える人生の背景があっただろうと感じますが、自殺は悲しい。
今日は、少しでも彼の魂が供養されることを願って、ブログを書こうと思います。
このブログを書くにあたって、レンハンとデビュー前から交流があったヤスくん(元中国VICE、元アメアパ販売員)に協力してもらいました。
オーストラリアにいるヤスくん、時差があるのに深夜まで電話してくれてありがとう。
いつの時代も、芸術家は自国と闘っている
性的表現をタブーとしている中国において、レンハンのヌード写真は大変騒ぎになりました。
人間のありのままの姿をありのまま写す最初の一人目は、お母さんだったそうで。
レンハンはヌード写真を通して、何を伝えようとして、何を表現したかったのでしょうか。
そのジャンルで国の先頭を歩む覚悟とは、如何なるものでしょうか。
今の私たちは、誰かが先駆けとなり、創り出してきた歴史の上に生かされています。
特に日本は「平和ボケ」と言われることもあるほど、物質的にも、教育的にも恵まれた環境がほぼ平等にあります。
まあ不満はあるけど、とりあえず安定した生活が送れたらいいかな。これが、現代でしょうか。
ここで、約20年前を振り返ってみたいと思います。ある芸術家が日本では批判されたのに、世界では絶賛されました。
現代芸術家の村上隆です。
彼の著「芸術起業論」にも書いてありますが、当初の彼の作風はオタク文化のいいとこどり、オタク文化をバカにしている、日本の恥とまで言われていました。
「日本で認められないなら、世界に出てやる!」ということで結果一躍注目され、2003年にはルイ・ヴィトンとコラボレーション。日本中が驚いたことでしょう。
昨年は森美術館で「五百羅漢展」、横浜美術館でコレクション展が開催されました。
しかし、今だ「国立美術館」での個展開催に至っていないということで…色々考えますね。
国に認められなかった、その痛みは如何なものでしょう。
自分の生まれた国、育った国、インスピレーションは常に日常にあふれているにもかかわらず、自分がクリエーションした作品を国に認めてもらえない。
フランスからの逆輸入作家の藤田嗣治(レオナール・フジタ)もそうだったように、いつの時代もその国の歴史や風土に合わない物は、最初はNOと言われるものです。
ヤスくんと話していて「中国においてレンハンと言う人物は、きっと20年前の日本の村上隆のポジションだ」と話になりました。
追いかける中国、追い抜く中国
現在の中国は、著しく経済が発展しています。
国土の広さゆえに貧富の差が激しい中国ですが、その人口の多さから今は世界では外せないポジションになっています。
例えば、モデルのキャスティング。
中国で人気のモデルと日本で人気のモデル、どちらを起用するかと言えば圧倒的にファンの分母が大きい中国人モデルになる。
中国人は、人口が多いが故にハングリー精神が、日本人とは桁違いだそうです。
何でもかんでも直ぐにパクる中国ですが、言い換えればクリエイティブのスタートは真似ることからなので、いい商品を真似して作ることで実は技術力も上がっているのかなと。
ブランド物のパクりを制作して販売した資金で、オリジナルブランドを立ち上げるとか、ある意味ビジネスが上手いのは中国なのかもしれません。
早く死にたかったレンハン、まだ死にたくない草間彌生
ヤスくんに、レンハンが亡くなった日にweiboに呟いていた言葉を訳してもらいました。
毎年抱く願望はいつも一緒:できるだけ早く死ぬ
今年こそはそれを実現したい
そうか、彼は死にたかったのか。これは突発的な自殺ではなく計画的自殺だったのか。
そう考えると、余計に私の中には矛盾というか彼の自殺という行為に納得できないようなモヤっとした気持ちが出てきました。
なぜかと言うと、真の芸術家とは死にたくても死ねないと思っていたからです。
それは、草間彌生のある書に記されています。
『水玉の履歴書』時よ待ってくれ私はもっとよい仕事がしたいのだ
それは、ステンドグラスが自分の天職、そしてステンドグラスを通して神の光を伝えることが使命だと悟った父が、少しでも長生きするためにタバコを48歳で辞めたのと同じ。
村上隆が叩かれても叩かれてもしぶとく生き続けるのと同じ。
人は本来、愛されたいと思う生き物だと思います。
自分の孤独を受け入れられるかは、究極の境地です。
ヤスくんから、レンハンは鬱だったと聞いたとき、自分には想像もできない孤独感を背負っていたのだろうと思いました。
もしかすると、明日死んでもいいと思えるくらいに全力で生きていたのかもしれません。
でも私は、それを自分自身が決めていいのか?と思うのです。
ある時に、自分の意思で生きているのではなく、生かされているという感覚を味わってしまった私は、自らの命尽きるまで応えなければいけない何かを探し続け、そして応えたいと思うようになりました。
自分の中の乗り越えたい部分は今乗り越えなければ死んだら最後、乗り越えられず仕舞いで終わります。
レンハンの自殺で、自分がこんなに衝撃を受けるとも思いもしませんでしたが、私は彼の死から生を学びました。
さいごに
なぜ、私たちは地球という惑星に生きることができているのでしょうか。
月と太陽の配列や距離は、奇跡なのでしょうか。
酸素濃度は奇跡なのでしょうか。
モーゼという人間が無秩序な生活に戒律を説き、イエスという人間が愛を説いたのは偶然でしょうか。
戒律や人を愛するという考えは、誰かを癒すようで、自分たちの魂が守られているのではないかと思います。
ブッダが説いた菩薩の心は、人の苦しみ我が苦しみ、人の喜び我が喜び。
隣人を愛しなさい、とイエスが説いたことと同じです。
遠い離れた国の宗教と、私が生まれた国の仏教、使われた例えや言葉は違えど根本は同じです。
今、レンハンという1人の魂が、誠の人生を生きられたのか。私は神様に聞いてみたいし、レンハンの魂はどこにあるのか聞いてみたい。
今、私が生きているのは、生かされているのは、何をするためなのか、探り続けたい。
多くの人に愛されていても、自分自身が孤独の中に生きてしまうと、鬱になり自殺してしまうかもしれないのなら、私はその人の傍らで一緒に、もう一度人生を取り戻そうと励まし続けられる人間になりたい。
今まで愛された人生を歩めたのは、次に誰かを愛する時に、愛される喜び、愛し方を知るためだったのかもしれないです。
今夜、レンハンの魂を想います。
供養という感覚は、日本に生まれたからかもしれませんが、死んだとしてもレンハンの魂が癒されることを祈っています。
ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
このブログは、あなたの明日が今日よりも少し幸せになって頂くために書き続けます。
peace
by アートリサーチャーさくらこ
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