2017/04/25

前衛芸術家 草間彌生 わが永遠の魂 に行って。作品を前に「入魂」という言葉を実体験した不思議な話





どうも、アートリサーチャーさくらこです。

今東京では話題の、前衛芸術家 草間彌生の個展 「我が永遠の魂」を観に国立新美術館に行ってきました。

私が草間さんの個展に行くのは2回目。
1回目は2013年、大分県立美術館で「永遠の永遠の永遠」を観に行ったのですが、その時は「きゃ~!本物の作品だわ~!」って舞い上がりとにかく楽しかった!っていう思い出。

その時の感覚で今回観に行きましたら…自分でも驚くちょっとスピリチュアル的な体験を2つしてしまいました。


周りの知り合いにも似た感想を言っている人がいたので、行った人が読めばスッキリ、これから行く人には、当日より感動が深まるように頑張って書かせていただきます。

※作品の展示順や内容に一部触れています。


体験1:「ごあいさつ」の文面から流れ込んだ草間彌生の生き様と魂願に鳥肌が立つ

会場に入ってすぐ、超大作の富士の絵を見ることが出来ますが、その横に日本語と英語で「ごあいさつ」があります。

この「ごあいさつ」、皆さんは読んでいらっしゃいますか。

生きている作家にとって「ごあいさつ」文というのは、お客様にどのような視点で作品を見てほしいのか、唯一私たち(観覧側)に共通認識を持たせることが出来るものです。

作品は見る人によって受け止めが違いますが、文字は自分の気持ちを伝えるのでほぼ伝わるでしょう。


草間さんの「ごあいさつ」では、芸術家として自分が生かされて肉体のある限り作品を生み出していかなくてはならないという使命感と、自分は今の時代に芸術を通して何を伝えるのか、自分が死んだあと何を残したいのか、ということが語られています。

その文章から伝わる前衛芸術家「草間彌生」としての人生を前に、私の未熟な心は揺さぶられ鳥肌が立ちました。


(この人は「魂は永遠」であると知っている。しかその一方で、肉体には限りがあることも受け止めている。この限りある「草間彌生」という人間の人生を、常に限界に挑戦して使命を生き抜こうとしている。)


読み進めながら鳥肌が立ち、読み進めながら人間とは何のために生まれてきたのか考えさせられる。

それだけで十分に衝撃だったのですが、私が一番魂に響いたのは

「芸術の創造とは孤高の営みだ」

というメッセージです。

実は、最近色んな宗教の勉強をしていて(笑)(外国人と出会うたびに、宗教的価値観の違いというもの感じていたので、相手を理解するために勉強しています。)

丁度最近は仏教ゾーンだったので、この「孤高」という言葉に私のセンサーが反応しました!


孤高という言葉は、阿羅漢の姿が語源という説があります。
阿羅漢(羅漢)は、自分を高める事を志し、煩悩を脱することに勤めていた聖者です。最近では、村上隆が五百羅漢展で描きましたね。

草間さんが今まで自分が芸術で生きてきたことは「孤高の営み」だったと、そしてこれから死ぬまで、そして死んだあとの世界にどのように影響を残すか探究しながらの芸術活動も、「孤高の営み」なのだと受け取り、頭が上がらず本当に感動し涙が出ました。

これから行かれるみなさん、ぜひ一文、一文噛みしめながら読んでいただくと、その後の作品の受け止め方が変わると思います。



体験2:「わが永遠の魂」シリーズの前で、永遠ではない肉体の人生の終わりを感じ泣く


上記の「ごあいさつ」を読んで、実際に「わが永遠の魂」シリーズを前にすると、今目の前にある作品は草間さんが命を削って永遠の魂を伝えている物凄い宇宙規模の聖書、経文のように感じました。

2009年からスタートしたこのシリーズは、ほぼ 彌生ばあちゃん になってからの作品です。
弟子を多く使い多くの人の手が加わって一つの作品を作る村上隆の制作過程とは違って、草間彌生は一人でひとつの作品を制作しています。

こんな大きなキャンバスに、あのおばあちゃんが一筆一筆に魂込めて描いているかと思うと、若い自分は肉体の自由も人生の時間ももっと可能性があるはずなのに、何をやっているんだと考えさせられました。

同時に、命を削って作品を生み出すとはまさにこのことだと圧倒され、泣いてしまう。絵から放たれる、「魂とは永遠なのだ!」という強いメッセージ。


魂は永遠でも、肉体にはタイムリミットがあるという考えを持って生きている人がどれほどいるでしょうか。

私たちは生かされていると感じている人がどれほどいるでしょうか。

人間、肉体をもってこそなせることがあります。それがいわゆる、「生まれてきた理由」「なんのために生きるのか」に通じるのだと思いますが、草間彌生という人は今命が尽きるまで、自分のミッションワークに尽くしていると感動しました。


それと同時に、私は先月自ら命を絶ったレンハンを思い出して苦しくなりました。このように生き続けてほしかった。本当に自分の好きな作品を生み出し続けてほしかったと思うのですが、それは叶わない願望です。


芸術とは喜びやエネルギーを湧き起こすものだと認識していたのですが、草間彌生の作品を見て「命を削る勢い」「人間いつかは死ぬ」という現実を叩きつけられて、重くなってしまい放心状態。
彌生ばあちゃんは肉体は衰えつつあっても、エネルギーは凄まじく私はその前に怯んでしまったんですね。


「永遠の永遠の永遠」の時には、目で見るアートとして楽しんでいたのですが、「わが永遠の魂」シリーズは、目で見るアートではなく魂で感じるアートで肉体(思考)が追いつかず疲れるって感じでした。

草間彌生さんが、永遠の「いのち」ではなく、永遠の「魂」と言い切っているあたりが私たち作品を見る側に求められる第三の視点だと思います。




さいごに


草間彌生のような、世界を舞台に活躍している人を見ると、あなたはどのように感じますか?

私も有名になりたい!影響を与えたい!と思う方
へぇ~、すご~い。と思う方
こんなの一部の人だけ、自分とは住む世界が違う、と思う方
自分は何をやっているんだ、と思う方


様々だと思うんです。

例えば明治維新のときは、坂本龍馬が発心し、薩長の同盟を結び、日本を変えていきました。
たった一人の青年の未来予想図が、日本の国を変えました。


しかし、今の時代これからの時代、私たちは何でもできます。

この「できる環境」というのは実は恐ろしく「できそうな環境」というハードル低めのゆとり基準にすり替わりがちです。

どんなに「できる環境」であっても、行動しなければできません。受け身であっては、人に影響を与えることはできません。

サッカー選手の本田のように有言実行するならまだしも、何も行動を起こさずに夢ばかり語っているうちは、何も起こりません。誰も相手にしません。

最近、ますます活躍している清水文太。

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彼は10代の内から、様々な大人に出会い、失敗も成功も含めて経験を積んできたと思います。
経験は財産です。

そのプロ意識たるや、本当に尊敬します。

 
将来の青写真が描けない人は、まず目の前の仕事に一生懸命になる。
将来の青写真が描けている人は、計画立てて即実行。

わたしも、自分の青写真に向かって命を削って生き抜きます。



ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
このブログは、あなたの明日が今日よりも少し幸せになって頂くために書き続けます。

 peace
by アートリサーチャーさくらこ

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