2017/03/19

「ただのお洒落」と「人目を引くお洒落」の違い





どうも、アートリサーチャーさくらこです。


 さて、先日初めて表参道にある美容室「UMiTOS」に行きました。 
担当美容師さんは、以前から顔見知りだった「渡辺なつき」さん。




 なつさんは見た目インパクト大ですが、その人柄も素敵! 

美容師としての能力ももちろんですが、カルチャーの知識や、価値観的な部分もとても合って最高な時間を過ごすことが出来ました。 

今日はなつさんと話す中で、「人目を引くお洒落とはなにか」「どうしてその人は人目を引くのか」について話した節の部分を書こうと思います。 


 「ただのお洒落」と「人目を引くお洒落」の違い 


いくら脱原する人(原宿に来ない真のお洒落な人)がいると言っても、やはり原宿に集まる人はその方なりに最高のお洒落をしてきていると思います。 なつさんも、表参道ヒルズ付近に毎日いると色んなお洒落な方を見るようです。 そんなお洒落と言われる部類の人が多い中で、埋もれないお洒落、人目を引くお洒落をしている人は、どんな人か

私がめっちゃ分りやすく例えるなら、それはシトウレイさんにスナップされている人ですかね。

 シトウさんのスナップを見ていて、例え自分の好みではない系統のお洒落さんのスナップでも、シトウさんが添える文章を読んで(あぁ、だからこの人をスナップしたんだ。)と思うことがよくあります。

やはり、その人が「醸し出している雰囲気」のまとい方で、人目を引くか引かないかが分かれるのでしょうか。


他にも、雰囲気がある人とはどういう人か参考にできるスナップサイトが、今は稼働していない「ペトロ」ですかね。

ただし、2年前の更新で止まっているので、旬ではありませんが(服装しかりその人も進化していると思うし)、雰囲気がある人ってこうだよなぁ〜みたいなニュアンスを知るには十分だと思います。


どうしてあの人は人目を引くの?


雰囲気がある人のスタイリングには、ただならぬコンセプトと計算されているという知的さと、今まで生きてきた人生から伝わるストーリー、品があるんだと思います。


例えば、見た目がめちゃくちゃヤンキーな、友人の山地。

コムデギャルソンやヨウジヤマモトで、80年代のカラス族を生きている彼ですが、そこら辺のオールブラックファッションの人とは、出してるオーラが違います。


元ヤンだから、そもそものオーラの出し方を知ってるのかも知れないけど


それにしても、山地がギャルソンやヨウジを着ると、一味も二味も違うんですよ。

今までの彼が生きて来た人生と、ブランドを愛してブランドの歴史やシーズンのコンセプトを知っている上でスタイリングするコーディネートは、極みです。

24歳の今の山地だからこそ醸し出している雰囲気を自分で知っていて、それを活かすスタイリングをする。


と、まぁ褒めるのはこれくらいにしておきます笑



お洒落は成熟しない、変化し続けるもの



かく言う山地にも、私も、きっと今は雰囲気がバリバリのあの人にも、お洒落の仕方がまだまだ分からず、恥ずかしい時があったと思います。


そこを経て、今いい味出してるかも知れませんが、やっぱり人の外見は内面の現れなので、年々変化するものだと思います。

それに伴って、醸し出すオーラがツンツンから、柔らかいものになったり、青いものが渋くなったり。


山本耀司パッパは、服装は変わってないけど人生歩むごとに醸し出してるオーラが変わってると思います。


今は、優しいじーじ感、あるよね?笑


見た目も雰囲気もガラリと変わったと言えば、篠原ともえでしょうか。


お洒落は内面の現れでもありますから、やはり成熟するものではなく、変化し続けるものだとひしひし感じます。


「古い革袋(価値観)は捨てる」自分の内面を探る


前回のブログ記事のラストに「今は当たり前に物資の保障がされている日本ですが、足りないものは目の前ではなく、私たちの内側にあるのもしれません。」と書きました。

私たちの内側にある「足りないもの」とは、どういうことを言うのか。

美容師のなつさんが、あるコンテストに向かうまでの心境を書いた文章がとても分り易かったので引用させていただきます。



この決勝戦は私は今回で3回目になりますが、一回目、2 回目と、ここぞというときに、切り込めない自分がいました。失敗したらどうしようとか、マイナスなことばかり考えてしまい、自分の納得できるカットができ ませんでした。なので、今日こそは、その、自分の内観にある奥深い自分の弱いところに勝ちたいと決心してこの大会に挑みました。自分自身に勝負しました。


人によって違う「古い革袋(価値観)を捨てる」という捉え方


「私はできる」という自信家の人であれば(私とかw)、侮っていたことを自覚し、今まで見えなかった周りの方々の助力を刻印する。恩恵の念を持った上で、自分に出来る力を活かす。

「こんなもんで良いよね~」という根拠のない安心感を抱いている人であれば、まずは切実になれない自分を意識する。周りの人は焦っているのに、自分は鈍感でワンテンポおくれているなら、一つひとつの出来事の「よびかけ」を聞こうとする。

「なんでこんなことも出来ないんだ。」という、どうしても人の足りない点が見えてしまい正論で攻めたくなってしまう人は、一度立ち止まってみてください。今まで、不満や批判で突き進んでしまった先には、破壊や硬直した人間関係しか生んでこなかったことを思い出す。そのうえで、自分の中のこだわりや囚われ(こうでなければいけない)のフィルターをかけずに、ありのままのその人(事態)を見つめてみる。

そして、最後は「こうなったらどうしよう」という不安にかられる人。もしくは「いつも私が被害者だ」と感じている人。そのような方は、自分の不安は何に対して抱いているのか見つめる。失敗することが怖いのか、周りの目が怖いのか。きっと、その不安の原因がつかめたら、今までとは違う選択をすることにも自信が持てるんではないでしょうか。


人それぞれ、育った環境や時代の価値観、職場の風土など色んな影響を受けて今のあなたがあります。

今までは無自覚に受けてきた影響も、少し人生を振り返ると(あの時の出来事が原因かぁ)と結びつくはずです。


例えば、部活の顧問から「使えない奴は必要ない」と言われ続けてきたから、気が付いたら自分自身も出来ない人を「使えない」と思ってしまう。とか

なんでもかんでも上の兄弟がお世話をしてくれたので、いざ自分が選択を迫られるとどうしていいか分らない。とか


さいごに



過去の上に今の自分がいることをしっかりと落とし込んだうえで、どんな自分になりたいのか考えると、なつさんのような成長の感動体験が味わえるんだと思います。

「目を引くお洒落な人」とは、お洋服の上にまとっているその雰囲気が一味もふた味も違う。

私も雰囲気を醸し出せるように、日々成長したいものです。



ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
このブログは、あなたの明日が今日よりも少し幸せになって頂くために書き続けます。

 peace
by アートリサーチャーさくらこ

2017/02/27

中国人写真家レンハンの魂、供養のためのブログ





どうも、アートリサーチャーさくらこです。

2017224日、中国人フォトグラファーとして私たちに衝撃を与えたレンハンが亡くなりました。

まちがいなく、世界に認められた中国人で、一時の人気で終わることのない、真の写真家だったと思います。

中国人として中国と闘いながら、彼はドイツで人生を終えてしまいました。

本当に私の想像を超える人生の背景があっただろうと感じますが、自殺は悲しい。

今日は、少しでも彼の魂が供養されることを願って、ブログを書こうと思います。

このブログを書くにあたって、レンハンとデビュー前から交流があったヤスくん(元中国VICE、元アメアパ販売員)に協力してもらいました。

オーストラリアにいるヤスくん、時差があるのに深夜まで電話してくれてありがとう。







いつの時代も、芸術家は自国と闘っている


性的表現をタブーとしている中国において、レンハンのヌード写真は大変騒ぎになりました。

人間のありのままの姿をありのまま写す最初の一人目は、お母さんだったそうで。




レンハンはヌード写真を通して、何を伝えようとして、何を表現したかったのでしょうか。

そのジャンルで国の先頭を歩む覚悟とは、如何なるものでしょうか。


今の私たちは、誰かが先駆けとなり、創り出してきた歴史の上に生かされています。

特に日本は「平和ボケ」と言われることもあるほど、物質的にも、教育的にも恵まれた環境がほぼ平等にあります。

まあ不満はあるけど、とりあえず安定した生活が送れたらいいかな。これが、現代でしょうか。


ここで、約20年前を振り返ってみたいと思います。ある芸術家が日本では批判されたのに、世界では絶賛されました。

現代芸術家の村上隆です。

彼の著「芸術起業論」にも書いてありますが、当初の彼の作風はオタク文化のいいとこどり、オタク文化をバカにしている、日本の恥とまで言われていました。

「日本で認められないなら、世界に出てやる!」ということで結果一躍注目され、2003年にはルイ・ヴィトンとコラボレーション。日本中が驚いたことでしょう。


昨年は森美術館で「五百羅漢展」、横浜美術館でコレクション展が開催されました。

しかし、今だ「国立美術館」での個展開催に至っていないということで…色々考えますね。

国に認められなかった、その痛みは如何なものでしょう。

自分の生まれた国、育った国、インスピレーションは常に日常にあふれているにもかかわらず、自分がクリエーションした作品を国に認めてもらえない。

フランスからの逆輸入作家の藤田嗣治(レオナール・フジタ)もそうだったように、いつの時代もその国の歴史や風土に合わない物は、最初はNOと言われるものです。

ヤスくんと話していて「中国においてレンハンと言う人物は、きっと20年前の日本の村上隆のポジションだ」と話になりました。



追いかける中国、追い抜く中国


現在の中国は、著しく経済が発展しています。

国土の広さゆえに貧富の差が激しい中国ですが、その人口の多さから今は世界では外せないポジションになっています。

例えば、モデルのキャスティング。

中国で人気のモデルと日本で人気のモデル、どちらを起用するかと言えば圧倒的にファンの分母が大きい中国人モデルになる。


中国人は、人口が多いが故にハングリー精神が、日本人とは桁違いだそうです。


何でもかんでも直ぐにパクる中国ですが、言い換えればクリエイティブのスタートは真似ることからなので、いい商品を真似して作ることで実は技術力も上がっているのかなと。


ブランド物のパクりを制作して販売した資金で、オリジナルブランドを立ち上げるとか、ある意味ビジネスが上手いのは中国なのかもしれません。



早く死にたかったレンハン、まだ死にたくない草間彌生



ヤスくんに、レンハンが亡くなった日にweiboに呟いていた言葉を訳してもらいました。


毎年抱く願望はいつも一緒:できるだけ早く死ぬ

今年こそはそれを実現したい


そうか、彼は死にたかったのか。これは突発的な自殺ではなく計画的自殺だったのか。

そう考えると、余計に私の中には矛盾というか彼の自殺という行為に納得できないようなモヤっとした気持ちが出てきました。


なぜかと言うと、真の芸術家とは死にたくても死ねないと思っていたからです。

それは、草間彌生のある書に記されています。

『水玉の履歴書』草間 彌生 時よ待ってくれ私はもっとよい仕事がしたいのだ


それは、ステンドグラスが自分の天職、そしてステンドグラスを通して神の光を伝えることが使命だと悟った父が、少しでも長生きするためにタバコを48歳で辞めたのと同じ。


村上隆が叩かれても叩かれてもしぶとく生き続けるのと同じ。

人は本来、愛されたいと思う生き物だと思います。

自分の孤独を受け入れられるかは、究極の境地です。


ヤスくんから、レンハンは鬱だったと聞いたとき、自分には想像もできない孤独感を背負っていたのだろうと思いました。


もしかすると、明日死んでもいいと思えるくらいに全力で生きていたのかもしれません。

でも私は、それを自分自身が決めていいのか?と思うのです。

ある時に、自分の意思で生きているのではなく、生かされているという感覚を味わってしまった私は、自らの命尽きるまで応えなければいけない何かを探し続け、そして応えたいと思うようになりました。


自分の中の乗り越えたい部分は今乗り越えなければ死んだら最後、乗り越えられず仕舞いで終わります。


レンハンの自殺で、自分がこんなに衝撃を受けるとも思いもしませんでしたが、私は彼の死から生を学びました。


さいごに


なぜ、私たちは地球という惑星に生きることができているのでしょうか。

月と太陽の配列や距離は、奇跡なのでしょうか。

酸素濃度は奇跡なのでしょうか。

モーゼという人間が無秩序な生活に戒律を説き、イエスという人間が愛を説いたのは偶然でしょうか。

戒律や人を愛するという考えは、誰かを癒すようで、自分たちの魂が守られているのではないかと思います。


ブッダが説いた菩薩の心は、人の苦しみ我が苦しみ、人の喜び我が喜び。

隣人を愛しなさい、とイエスが説いたことと同じです。

遠い離れた国の宗教と、私が生まれた国の仏教、使われた例えや言葉は違えど根本は同じです。

今、レンハンという1人の魂が、誠の人生を生きられたのか。私は神様に聞いてみたいし、レンハンの魂はどこにあるのか聞いてみたい。

今、私が生きているのは、生かされているのは、何をするためなのか、探り続けたい。


多くの人に愛されていても、自分自身が孤独の中に生きてしまうと、鬱になり自殺してしまうかもしれないのなら、私はその人の傍らで一緒に、もう一度人生を取り戻そうと励まし続けられる人間になりたい。


今まで愛された人生を歩めたのは、次に誰かを愛する時に、愛される喜び、愛し方を知るためだったのかもしれないです。


今夜、レンハンの魂を想います。

供養という感覚は、日本に生まれたからかもしれませんが、死んだとしてもレンハンの魂が癒されることを祈っています。

ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
このブログは、あなたの明日が今日よりも少し幸せになって頂くために書き続けます。

 peace
by アートリサーチャーさくらこ

2017/01/07

2017年最初に伝えたいこと 過去ログが見られる安心感で、「今」を感じることを忘れているデジタルネイティブ達へ





どうも、アートリサーチャーさくらこです。


1人身のクリスマスイヴ(2016年)、本川越にある和ろうそくのお店「haze(ヘイズ)」さんで、乳香(木の樹脂)の香りを楽しむ「源氏香」のイベントに参加してきました。

煙の立たない和ろうそくの光の中で、遠い異国の香りに包まれた1時間。

全身で「今」に神経を研ぎ澄ますこと自体が、久しぶり。


今年最初に皆さんにお伝えしたいと思った今日のブログの内容は…

ますますデジタル分野が飛躍する2017年に、「デジタルに不在」という付加価値についてと、形が残らない芸術について、そして「今」を感じながら生きるには努力が必要、です。


デジタル社会だからこそ「デジタル化しない」付加価値、「形に残らない」付加価値


2015年の村上隆の個展に行ったときを思い出したいのですが

芸術作品を前にスマホで写真を撮り、肉眼で作品を観るよりもスマホの画面越しに作品を見る人々。

タイトルにも書いたように、私たちは目の前にある芸術さえもスマホに収めて、後から見るという選択をしがちです。
SNS報告用がほとんどかも知れませんが笑)

データとして保存し、後から見返すという行為。メリットもあるのですが、今回のイベントに参加して「デジタル化しない」付加価値、「形に残らない」付加価値に、(かっこいいなぁ)と思いました。

「形に残らない」付加価値、「形に残らない」芸術


例えば、和ろうそく。hazeのろうそく作家のお二人が創った作品は、一度火を灯すと蝋は溶けて、跡形もなくなります。

今回使用された乳香(木の樹脂)も、焚けば残るのは香り。それも目に見えない香りという芸術。
和ろうそくのともし火も、乳香の香りも、その場にいるから体験できる芸術的癒し体験です。
見た目も美しい和ろうそくは、使うことがもったいないと感じてしまうのですが、「消費することこそ価値がある」もの。

芸術家というのは、自分の中のイマジネーションをクリエーション(具現化)することで、自分の芸術を表現します。しかし、一度は具現された和ろうそくも、使用されて消える。
形に残らなくても、そこには気配や記憶が確実に残り、作家と私たちの間に絆が生まれていると感じます。

 

「デジタル化しない」付加価値


このイベントに、写真家の方が参加していらっしゃいました。



ご自分の分厚いポートフォリオをお持ちで、見せて頂こうと思ったのですが、みんなが囲んでいたので、(後でウェブで見よう)と思いウェブサイトを聞くと「僕は、ウェブには作品を載せないので、、、」とのこと。

どうしてウェブに作品を載せないのか伺いたかったのですが、言葉にしなくても伝わる写真家の方の想いを空気で感じました。

本当に本当に分厚いポートフォリオで、めくる度に世界観に引き込まれ、
(今見ておかなきゃ。目に焼き付けておかなきゃ、この作品とは二度と出会えない。)という焦りにも似た感じ。



お名前を伺うことも出来ず、読み人知らずの和歌に心惹かれるそんな気持ちになり、「デジタルに不在」であるという価値もあるなと実感しました。
FKAtwigsも最初はSNS全然してなくて、ミステリアスキャラにぴったりだった。)


かと言って、ビジネスとアートは紙一重ですから、ビジネスとして成り立っているかは大切なポイントです。


プロとセミプロ、アマチュアの線引きにおいて、意図した「デジタルに不在」キャラに拘り過ぎて経済回せなかったら、それはあくまで趣味ですから、その内輪だけの水準で終わってしまいます。

より極みを目指すなら、簡単に世界中の芸術家と肩を並べて自分の実力を試せるウェブ展開をした方がいいと思いますし、誰が見てもこの作品はこの人!と分かる作風の確立さえしていれば、足踏みする必要はないと思います。


「今」を感じながら生きるには努力が必要


話しはそれましたが、大人になればなるほど、「今」を感じることを忘れていて、なんでも流しやすくなっているという事実があります。

1年を早く感じるのは、子どものころに比べて目新しいものがなく「いつもの」や「当たり前」といった言葉を当てはめ流してしまうから。ですよね。

カメラを持って出かける日は、空を見上げたり、壁に映る木漏れ日を見つめたり、いつも以上に周りの世界に敏感になっています。
本当は、カメラを持たなくても「今」を見つけることが出来る自分になりたいです。
それと同時に「未来」を見つめることもしたい。
わたしの「今」の連続がわたしの「未来」を創造している…仕事も、お尻のお肉も、努力してないと未来に影響が(笑)

「今」に切実感を持ち、「する」と決めたことを連ねてみて、初めて今までの自分とは違う未来をつくりだせるのでしょう。


さいごに


「今」を感じながら生きることに一生懸命だった「北条すず」という人がいます。
映画「この世界の片隅に」の主人公です。
1/4、川越のレトロな映画館「スカラ座」に観に行ってきました。


物資が足りなかったあの時代の人々は、日々工夫しながら生活していたんですね。

今は当たり前に物資の保障がされている日本ですが、足りないものは目の前ではなく、私たちの内側にあるのもしれません。


ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
このブログは、あなたの明日が今日よりも少し幸せになって頂くために書き続けます。

 peace
by アートリサーチャーさくらこ